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AAAAAAAAAAAAAおお友よ、このような音ではない!
AAAAAAAAAAAAAそうではなく、もっと楽しい歌をうたおう
AAAAAAAAAAAAAそしてもっと喜びに満ちたものを
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AAAAAAAAAAAAA喜びを飲む、全ての生きとし生けるものは
AAAAAAAAAAAAA自然の乳房から生まれた
AAAAAAAAAAAAA全ての善きもの、全ての悪しきものも
AAAAAAAAAAAAAその、バラの道を追い求めてゆく
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AAAAAAAAAAAAA喜びは私たちにキスと葡萄酒とを与えたる
AAAAAAAAAAAAAそして、死の試練をのりこえた友や
AAAAAAAAAAAAA虫けらにも快楽は与えられる
AAAAAAAAAAAAAそして祝福されるのだ、神の前で。




AAAAAAAAAAAAAAAAAAA地を駆け、空を飛び
AAAAAAAAAAAAAAAAAAA時空の狭間を住まいとする
AAAAAAAAAAAAAAAAAAA我らは犬神
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AAAAAAAAAAAAAAAAAAA聖なる戌年も
AAAAAAAAAAAAAAAAAAA残すところ早あと14日余り
AAAAAAAAAAAAAAAAAAA神から授かりし霊力も
AAAAAAAAAAAAAAAAAAA徐々に衰え、弱まり
AAAAAAAAAAAAAAAAAAA消えんとす・・・・
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AAAAAAAAAAAAAAAAAAA我は神なり
AAAAAAAAAAAAAAAAAAA聖なる神の家に住む
AAAAAAAAAAAAAAAAAAA永久(とこしえ)のものなり
AAAAAAAAAAAAAAAAAAAアア~・・・・・・・・・・・・・
AAAAAAAAAAAAAAAAAAA・・・・・・・・・
AAAAAAAAAAAAAAAAAAA・・・・




遥か神代の昔のその昔の、縄文時代の縄文犬の墓が発見された。
一万年以上もの昔から犬は人に愛され、また神霊としての存在でもあったのだ。
手厚く優しく葬られた墓がその事実を証明する。
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弥生時代になり稲作文明が定着すると作物を荒らす害獣を駆除する益獣として、
犬あるいは狼は神の使い、もしくは神として崇められ信仰の対象とかした。
前にも述べたが、日本人だけが
犬もしくはオオカミを神として崇め奉る世界で唯一の民族なのだ!
日本中至る所の神社仏閣で見られる狛犬は、
犬あるいは狼を信仰の対象とした点において
日本独特のもので世界には例が無い。
あらためて私達、日本の愛犬家達は私たちの祖先が犬たちと
どのように付き合ってきたのか、今こそ学ぶべき時ではないだろうか?
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2006年の戌(いぬ)年も、もうすぐ暮れる。
せめて、新年の初詣のおり神社仏閣に詣でた際には
狛犬に手を合わせてみてはいかがなものか!
せめてそれくらいの心がけは持ちたいものだが・・・・・・。
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日いずる国、日本の2006年戌(いぬ)年の元旦の日の出と共に立ち上げた
オセロ22のサイトも、後少しで一年になる!
ダイヤリーの記事も、当初の予想に反してペースはドンドンうなぎ上り、
まるで犬神様が乗り移ったかのように
とどこおる事を知らなかった事実は、私自身驚きにあたいする。
これから年末まで色々とバタバタとあわただしい、更新はまばらになるが
2007年、新年からのダイヤリーの更新に乞うご期待!
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チョット早いですが、よいお年を・・・・・・・・。



「目には目を、歯には歯を」
バビロニアのハムラビ法典や旧約聖書に書かれてある言葉だ・・・・・・・・。
キリストは「目には目を」を引き合いに出して、復習の禁止を唱える。
「右の頬を打たれたら左の頬を出しなさい」有名な言葉だ。
ところがキリスト自身は、大祭司の下役に平手で頬を叩かれた時、
「何で殴るんだ」と言い返し、他の頬を向けはしなかったらしい。
やはり神であるキリスト様でも本音と建て前の狭間でもがいていたと言う事か!
私の場合はどうか、もし他人に悪口を言われればどうするか・・・・?
たぶん相手にしないでしょう、めんどくさい!それだけです。
仏教でも似たような教えは存在する、
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「怨みに報いるに怨みを以ってしたならば、ついに怨みのやむことがない」

スコットランドの国境沿いにルーツを持つボーダーの犬神「オセロ様」には、
やはり西洋の神の言葉がよく似合う。
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目には目を、歯には歯を、
されど、復讐は、我にあり。
これは、神が言われた、言葉。
この世は、そもそも、因果応報。
恨みには、愛を以って報いるべき。
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アア~!私自身、原稿を書いていて何が何だか頭の中が混沌としてきた。
私のお粗末な知識と教養では、「神」についてこれ以上原稿を書き進める事は、
神に対する冒涜(ぼうとく)以外の何物でもないかも、犬神様に憑かれてしまう。
だからといって、犬神信仰の説明をタラタラするのも
学術書の文献でもあるまいし、このダイアリーにそぐわない。
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今年を締めくくるコラム「新犬神さま外伝」も次回でいよいよ完結と言う事で、
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つづく・・・・・・・・・・




私の実家がある大西町、そこにまつられる大井八幡大神社、
鳥居のかたわらに堂々と鎮座する阿吽(あうん)の対を成す狛犬。
日本中、至る所の神社で見られる狛犬は
犬あるいは狼を信仰の対象とした点において
日本独特のもので世界には例がない。
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狼や野生の犬を、邪悪な悪魔の化身として既定した
酪農文化の発達した欧米諸国とは違い
世界で唯一、日本だけが犬もしくは狼を神として崇めたのである!
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ペット文化の先進国であるオーストラリアから
来年の2月の始めにMrs.バル・ボニーがまた例年のように来日する。
その際のトライアルや勉強会にのぞむ我々は、
何のきおくれも、コンプレックスも持つ事など微塵もないのだ!フガ!フガ!
私たち日本の、犬を尊び愛した祖先達、
犬を愛する事においては世界に冠たる歴史があったのだ。
ソ~!私達には犬神さまのありがたいご加護とご利益があるはずなのだが?
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冬の夕暮れに、もの言わず永遠の時を鎮座(ステイ)する狛犬。
猛々しく掲げた尾に、こんじきの夕日が反射して
より一層の、畏敬の念を強くあたりに放射する・・・・・・。
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つづく・・・・・・・・・・・・・・・




AAAAAAAAAA私は、あなたの子供ではない。
AAAAAAAAAA私は、人生そのものの息子であり、娘である。
AAAAAAAAAA私はあなたと共にいるが、あなたに屈しない。
AAAAAAAAAAあなたは、私に愛情を与えてもいいが、
AAAAAAAAAAあなたの考えを与えてはいけない。
AAAAAAAAAAなぜならば、私は私自身の考えを持っているからだ。
AAAAAAAAAAあなたは、私達の体を家に入れてもいいが、
AAAAAAAAAA私達の心をあなたの家に入れてはいけない。
AAAAAAAAAA何故なら、私達の心は、
AAAAAAAAAAあなたが訪ねてみることもできない、
AAAAAAAAAA夢の中で訪ねてみることもできない
AAAAAAAAAA崇高な神の家に住んでいるからだ。
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AAAAAAAAAAハハア~・・・・・・・・・・・・・・!!
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AAAAAAAAAA今日は、あらぶる犬神「オセロ」さまから
AAAAAAAAAAありがたい神のお告げがあった。
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AAAAAAAAAAつづく・・・・・・・・・・




オーストラリアで活躍する有名なドッグトレーナー「バル・ボニー」。
トレーニングの基本は「愛」だと言う!
我々は愛犬に対する愛情表現が、何とも稚拙でへたくそだと嘆く。
私たち飼い主を愛している犬達には、愛で応えなければならないと言う事か。
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しかし私達は犬を愛しているかも知れないが、
犬達は私達を本当に愛しているのだろうか・・・・・??
私自身、率直で素直な疑問、人が操る「愛」と言う言葉に引っかかりを覚える。
「愛」早速辞書で引いてみた。
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個人の立場や利害にとらわれず、広く身の回りのものすべてに存在価値を認め、
最大限に尊重して行きたいと願う、人間本来の暖かな心情
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はたして、犬達にこのような心情があるのか・・・・・?
また、昨今のペットを取り巻く様々な状況は
あまりにも安易で偽善的で業にまみれた「愛」がそこらかしこに氾濫している!
と違和感を感じるのは私だけなのだろうか・・・・・・・。
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いちよう犬を愛しているが、犬からは愛されてはいない多くの愛犬家達、
かわいい!かわいい!まるでバカの一つ覚えじゃあるまいし、
他にボキャブラリーを持ち合わせてないのか?と思わずには居られない。
まるでタガが外れてしまっているような有様の
幼稚な愛情表現の言葉しか使えないオバさんや、おね~ちゃん達を見るにつけ
ますます心に大きく引っかかる、
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「愛」という「言葉」。
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つづく・・・・・・・・・・・・・




目は口ほどにものをいう・・・・・・!
アア~!日がな一日、君の目をじっと見ていると色々と考えさせられる。
例えば、私が君の瞳に語りかけるものは
かの有名なタヒチの画家の言葉を借りるならば、
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我々はどこから来たのか?
我々は何者なのか?
我々はどこへ行くのか?
とゆう命題についてである。
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古来、日本には犬神信仰があった、
私にとって、最も身近にいる[神]オセロを含む犬達は
何も言葉では教えてくれない。
私達人間は、君たちに比べどうしてこんなにも傲慢で、エゴイスティックな
愚かで醜い生き物に成り下がってしまったのだろう・・・・・・・・。
それに比べ、その君の純粋で、凛とした瞳の輝きは何と立派な事か。
人は哀れにも言葉などをあやつるがゆえに、
浅はかな見栄と薄っぺらな虚栄心を満足させるが為にあくせくと言葉を綴る。
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君の瞳が私に語りかける、
「ア~ダ!コ~ダ!と考えないで、私達のように生きればいいのに」
犬神様オセロが私に、そう言っているような気がしてならない。
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つづく・・・・・・・・・・・・!




AAAAAAAAAAAA「ヒール」たら チッタカタァ 行進だ
AAAAAAAAAAAA右足くん! 左足くん!
AAAAAAAAAAAAカワリ バンコ! カワリ バンコ!
AAAAAAAAAAAAお母さんと一緒に チッタカ タッタッタァ
AAAAAAAAAAAAナッチャンと一緒に チッタカ タッタッタァ
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AAAAAAAAAAAAAAAAAAA大きな庭の木の下で
AAAAAAAAAAAAAAAAAAAオセロとわたし
AAAAAAAAAAAAAAAAAAA楽しく遊びましょ
.
AAAAAAAAAAAAAAAAAAA大きな庭の木の下で・・・




AAAAAAAAAAAAAオセロは私には自由が無いという、
AAAAAAAAAAAAAほんとの自由を味わいたいという。
AAAAAAAAAAAAA私は驚いてオセロを見る。
AAAAAAAAAAAAA砂浜の前の海の向こう、
AAAAAAAAAAAAA切っても切れない
AAAAAAAAAAAAAむかしなじみのきれいな空だ。
AAAAAAAAAAAAAどんよりけむる地平のぼかしは
AAAAAAAAAAAAA淡いオレンジ色の夕日のグラデーション。
AAAAAAAAAAAAAオセロは遠くを見ながら言う、
AAAAAAAAAAAAAあれが糸山、あの光るのが来島海峡
AAAAAAAAAAAAAその海に浮かぶ島々の上に
AAAAAAAAAAAAA毎日出ている青い空
AAAAAAAAAAAAAオセロはあそこに本当の自由があるという
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AAAAAAAAAAAAAどこかで聞いた様なあどけない自由の話である。




人に飼われた犬は笑う。
野生の犬や狼の中には口角を引いてあたかも笑っているように見せる犬もいるが
実際に笑いという独特の表情を見せるのは、
笑顔をたくさん持った人に育てられた犬だけのようだ。
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シニカルに笑う犬、オセロから私に人生のアドバイスがるそうな!
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もっと力をぬいてごらん
誰だて、泣きたい時くらいある
疲れたら、休むべし
冬は必ず春となる
ゆっくり生きたっていいよね~
.
アア~!ありがたいお言葉の数々・・・・・・・
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父よ、私から目を離さないで見守る事をせよ
この遠い道程のため。




AAAAAAAA笑うオセロは黙して語る
AAAAAAAAこれは始まりであって終わりではない
.
AAAAAAAA動き出す前、君は笑っていた
AAAAAAAA暴走した後も、君は笑い続けていた
AAAAAAAA残るのは混迷と失望と落胆の感情、悪夢がよみがえる
AAAAAAAAその君の行動の意味を私は理解できない
AAAAAAAAしないのではなく、出来ないのだ
.
AAAAAAAA今、君は自分の真実の認識を行動に移し笑い続ける
AAAAAAAA私を、オビディエンスを、全てを
AAAAAAAA私と君とが住まう世界の認識が一致するとき
AAAAAAAA君は初めて笑いを止められるのだろか
.
AAAAAAAAこれはまだ始まりであって終わりではないのだ




AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA我は冬の天使なり
AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA冬枯れた大地こそ我が喜び
AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA来たれ!
AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA冬を共に慕うもの達よ
.
AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAとオセロが言ったとか
AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA言わなかったとか・・・・
AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA12月、冬の師走の空の下。
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